傑物の至言-26 芥川龍之介

「我々の生活に必要な思想は三千年前に尽きたかもしれない」芥川龍之介の至言

我々の生活に必要な思想は三千年前に尽きたかもしれない。我々はただ古い薪に新しい炎を加えるだけであろう。 矜誇、愛慾、疑惑――あらゆる罪は三千年来、この三者から発してゐる。同時に又恐らくはあらゆる徳も。 物質的欲望を減ずることは必しも平和を齎《もたら》さない。我々は平和を得る為には精神的欲望も減じなければならぬ。 

芥川龍之介『河童』「阿呆の言葉」から

凡ゆる歓喜、苦悩、混迷がひとり自分が人間として生きていることで生じ、人間が二人以上の間で大きくなるのは何千年前から不変であると、芥川は喝破した。

『河童』を発表したのが1927年

この約3000年前、エジプトでは第20王朝が終わった。

その後ペリシテ人イスラエル人が対立し始める。それはガリラヤ、今のパレスチナ、イスラエル北部でのことだ。

今と変わってないじゃん。

日本では縄文時代晩期という大くくりの時期、人々の感情を推し量るものは現在発見されていない。

中国は「(いん)」という現在実在が確認できる中国最古の王朝の時代。その後、「」によって滅ぼされる。

対立したり、滅ぼしたり。

生きているから「矜誇、愛欲、疑惑」が巨大化、妄想化して、対立し、相手を滅ぼそうとまでする。

この国でも毎日のように個人が誰かを殺したというニュースが報道される。

今も各局でワイドショー連中が悲痛な表情をしてみせ、したり顔でコメントを繰り返している。

もちろん、殺人を単純に是認する気は毛頭ない。ある筈がない。

正当防衛や誰が見ても同情する復讐など論議の余地のある場合もあるだろう。

それすら持たない殺人など、500回死刑にすればいい。自分で死なせてはいけない。

「何でそんなことするんだろう」

「争いなんかしないでもっと楽しいことだけすればいいのに」

「世の中には楽しいことがいっぱいあるのに」

安全なモニターのこちら側で彼岸の事件と煎餅齧りながら憤る我々にも「矜誇、愛欲、疑惑」が備わっている。

だから同罪などというつもりも無い。

生物として同根だからといって行動は個人の責任だ。

馬鹿だから他者を殺傷していいという理屈は存在しない。

同じく戦争は決定した為政者の責任だ。

土地が欲しいから、宗教が異なるから(本当にそれだけの理由ならば)他国民を虐殺していいという理屈は通用しない。

ただ、戦争という形、個人のルサンチマン発の異常行動という形をとるにせよ、

「矜誇、愛欲、疑惑」という根っこが同じものであり、

人間、いや生きるものすべてが抱えているという事実。

『河童』でそう書かなくてはならなかった芥川。

芥川は実際に河童に会ったのだろう。

芥川は此岸から彼岸の河童に会いにいくために人間でいることを35年で辞め、今は河童の社会の中で河童になったんだろう。

河童』が発表されたのは芥川が逝った年だ。

 河童に会いたい。河童にこの世を笑い飛ばして貰いたい。

芥川が逝ってしまって90年以上が経つ。

 その間にも河童に会えた人間はいるんだろうか。

芥川龍之介

1892(明治25)/3/1-1927(昭和2)//7/24 (享年35 歳)

芥川の自殺した命日7/24は「河童の日」と呼ばれている

作家

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『けだし名言』

ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。

ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。

その『傑物』の『至言』が放たれた奥底に迫りたい。