智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい (夏目漱石「草枕」)
夏目漱石の「草枕」冒頭の、あまりにも有名、あまりにも美しい文。
しかしながら、リズミカルにさらさら流れる言葉の連なりの中、生きることの窮屈さが凝縮されている。
歌でいえば、いきなりサビから始めたようなもの。
しかしこのサビの一言一言に辿り着くまでには、いったいどんなに心の屈託と付き合い、それを流麗な言葉に置き換えるのにどれだけ苦闘したことだろう。
その屈託の集積であるところのサビを小説はずんずんと進んでいくが、思考が流れるまま、あちらこちらにゴツンゴツンとぶつかって進んでいく。
屈託がさらに体積を増しそうだ。
それら行動が起こす音が読んでいるこちらの身体中に響いてくる。

この作品は『吾輩は猫である』『坊ちゃん』に続き、
1906年、39歳の時に発表。
時は『明治』時代である。
この年に生まれた人が存命でいらっしゃれば、113歳。
『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』と、今で言う「キャラが立った」立ちまくりの小説で始めた作家生活。
次の『草枕』でいきなりキャラ小説を捨て、
物語そのものというより「思索の過程」が紙の上で進められていく。
漱石の頭の中に「ハッピーエンド」は存在していないかのようだ。
漱石は官僚として英国留学を命じられ滞在中、読み耽った英米文学に馴染めず、「発狂した」と伝えられるほど悩みの中にいたという。
思考するそのこと自体が漱石の小説を成したのは自然の成り行きだったのだろう。後年までずっと漱石宅には後輩たちが集い私塾のような状態だったという。
思索し続ける。思索する論点が見つけられること自体が才能なのだと教えられる。
後の作品になればなるほど、
ゴツンゴツンがガツンガツン、
ゴロンゴロン、ガシャンと痛さが強度を増していった。
それはまさに思索がいろいろな場所にぶつかる音だった。
他人を傷つけ、そうしかできない自分が傷だらけになる主人公。
それは目を背けなかったからこその痛みであった。
こういう感覚に真面目に向き合う気持ちよりが今は低下し、最初から諦めムードが地球上を覆っているような気がしてならない。


ほとんどの人が教科書でこの人の文章に触れるだろうが、何回でも読み返すべき作家。
説明不要、多分日本一有名な文豪。
どんな人かを検索する時間があったら一行でも読むべし。
1867/2/9~1916/12/9 (享年49歳)
★こんなに有難い至言に遭遇させて頂きながらも、敬称略で書かせて頂くことをご本人、関係者にお詫び致します。
(記*波尾哲)