傑物の至言-21 渥美清

ー当初から(「男はつらいよ」の)シリーズはこれほど続くとは思われましたか「いえいえぜんぜん、一本だけのつもりでしたから」ーそれが26年ですか・・・「そうですね」ー寅さんのようになれたらいいなと思われた時はおありですか「そうですね こんなふうにして生きていけたらいちばん幸せですね ところが やはり そうじゃないんですね やっぱりいろんな社会人としての規制みたいなものもあるし煩わしい人とのつきあいもあるだろうし」「チョウチョかトンボのように好きな所へ出かけて生涯を追われたら末は野たれ死んでもいいんじゃないですかね1994年(平成6年)66歳時NHKの番組にて

NHKの局アナからの奥行きのない、あくまでも「寅さん」にひっかけた問いに対しての答えだから、テレビサイズの言葉になってしまっているが、大学卒業後浅草六区のストリップ劇場の専属コメディアン出身で時代劇映画やテレビドラマでも活躍の場を広げた。

1968年 テレビドラマとして『男はつらいよ』が放送され、寅さんは死んでいる。

1969年 松竹が映画化すると大ヒットし、以降ギネスブックにも載る48作のシリーズとなっていく。

  初期の『男はつらいよ』での寅さんは荒々しく言葉が刺々しくまだ「やくざ者」の匂いをぷんぷんさせていた。

それが毎年2本制作される国民映画となるに連れ、愛らしい毒っ気に収まり、予定調和の中の芸に落ち着いていった。

 

 今村昌平監督が『復讐するは我にあり』の主役をオファーしたところ、

「寅さんのイメージを裏切りたくない」

 と断ったという。

本作品は結局、緒形拳が主役を演じ、キネマ旬報ベストテン1位、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞作品賞受賞など高評価の映画になった。

あぁ、渥美清主演『復讐するは我にあり』見たかった

 シリーズ最後の作品撮影時には癌に侵されていたというが、片肺を切除していて撮影の合間には横になっていることが多かったという。

 役者以前の経歴にも諸説あるらしく、『男はつらいよ』山田洋次監督やレギュラー出演者でさえも連絡先、自宅を知らされず、現場以外での交友を避け続けたという。

 没後、国民栄誉賞を受賞したのも、「ギネス認定の国民映画の主役」としては相応しいことだろうが、その責任、重圧の中に生きた時間以外の役者渥美清の「外れた方」にももっと触れたかった。

 『男はつらいよ』以外の演技で名演とされるものが多数あるから余計にそう感じてしまう。

 そう思いながら読むと、冒頭の発言は心の叫びだったんじゃないのか、と言葉の奥行きはもっとあったのではないかと感じる。

渥美清

1928/3/10-1996/8/4(享年68歳) 

俳優、コメディアン

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『けだし名言』

ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。

ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。

その『傑物』の『至言』が放たれた奥底に迫りたい。

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