傑物の至言-9 カルメン・マキ(Carmen Maki)

3.11の事故によって故郷を失って帰るところのない人が日本中にあふれていると思い、デラシネという言葉が漠然と浮かびました。あの時、原発問題にちゃんと向き合わなければ、いけなかったのに結局、日本は何も変らなかった。今は思考停止し、人の体温のようなものがあまり感じられない世の中になってきていると思えてなりません

今の時代は日本中、みんな孤独を抱え、いつ『デラシネ』になるかわからない危機の中で生きているような感じがします。これまで根無し草って特殊な人に対する言葉だったけど、今はそうではないと思います

カルメン・マキが語るデラシネの時代「歌って生き抜く」

https://dot.asahi.com/amp/wa/2019042300059.html?__twitter_impression=true

週刊朝日53-10号より加筆(森下香枝)より引用

デラシネ』=根無し草

原発問題が大きなことである以上に、人間が総「デラシネ』状態にあると喝破する。

 やはりこれだけの大人のミュージシャンにならないとこんな基礎的な発言さえ出来ないのか?

他のミュージシャン、アーティストは思っても発言する勇気がないのか?

思ってさえいないのか?

母は日本人で父親はアイルランドとユダヤ人の血を引くというからクォーターとして生まれた。

早くに父親が亡くなり片親で育つ。

寺山修司主催の劇団天井桟敷に入団し舞台に立つ。

世間的に一躍有名になったのは

1969年、17歳の時に『時に母のない子のように』を歌い大ヒットし紅白歌合戦にまで出演。

ジャニス・ジョプリンのレコード聴いたことでロックに目覚め、

1970年 ロック界への転向を宣言した。売れっ子だったのに歌謡界にオサラバしたというわけだ。本当にカッコ良かった。この頃から筋金入りの根性を持った人だったということだ。

1971年 『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』(Gr:竹田和夫)

を発表。(ちなみにこのブルース・クリエイションが後にクリエイションとなる)

すぐさまシャウトが様になる「女性ロッカー」の代表格に。

そして、カルメン・マキ&OZを結成。

1975年、ファースト・アルバム『カルメン・マキ&OZ』が10万枚を超えた。これは当時、日本のロック界では異例のセールスだった。

収録されている「私は風」(作詞:カルメン・マキ本人)は今も歌い続けられる名曲。

『あまりにも悲しいことばかりで どこか遠くへ旅にでようとポケットに思い出つめこみひとり汽車にのったの』『私は風』より引用

で始まる詞は彼女自身の偽らざる心境だったのかもしれない。

中森明菜のカバーで聴いた人も多いかもしれない。


カルメンマキ 私は風 CARMEN MAKI

1978年、芸能活動を休止に追い込まれたCharの再起を支援したのもマキさんだった。

カルメン・マキ&OZのライブに客演した時のCharの演奏はものすごいかったなぁ。

いまだガンガン現役ロッカー。決して古い曲を歌っても「懐メロ」として歌っていない。

今でも、不勉強な記者の質問には真っ向から叱ってみせる。

ちょうちん記事を書くことしか知らない記者が迂闊に近づけば火傷するわけだ。

男性よりも女性の方が元気だとそのパワーで見せ続けられてしまう。

ありがとうございます。

初となる自伝的な書籍が5/1に発売されたばかり。

必読!

カルメン・マキ

歌手、作詞家、作曲家

1951/5/18ー (現在68歳)

★こんなに有難い至言に遭遇させて頂きながらも、敬称略で書かせて頂くことをご本人、関係者にお詫び致します。

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『けだし名言』

ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。

ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。

その『傑物』の『至言』が放たれた奥底に迫りたい。

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