ハーフで、父親がいなくて、勉強がきらいで、ひとりで遊ぶことが好きだった子どもが、ギターに、そしてロックに出会ったことで運命が変わっていったんだ。~そういえば昔インタビューでベースの好きなところは?って聞かれて、間違えても気がつかれないことって答えたときもあったな。
『気ままに生きる』加部正義 より引用
なんと、あのルイズルイス加部さんのエッセイが読めた。
とにかくカッコいいルイズルイス加部!
思わず「加部さん」と呼んでしまう。
203ページの大作。
本牧生まれ。
父親がフランス系アメリカ人のハーフとして生まれた。
高校時代まで、ギタリストしていくつかのバンドでプレイ。
1966-1971年 ゴールデン・カップス(エディ藩、デイヴ平尾、ルイズルイス加部、ケネス伊東、マモル・マヌー)でベーシストとしてプロデビュー。
GS(グループ・サウンズ)の大ブームに乗り、「愛する君に」「長い髪の少女」などのヒットを飛ばし、人気グループになる。
しかし。その音楽性は当時から他のアイドル路線をまっしぐらなGSバンドと一線を画していた。
加部さんこのプロ・デビュー後は基本的にベーシストとして、時々ギタリストとしてプレイを続ける。
1970年 フード・ブレイン
1971年 スピード・グルー&シンキ
この頃にも日本にもCreamみたいなすげぇトリオのバンドがいたんだ、
と最初聞いた時はぶっ飛んだもんだ。
今よりも楽器の性能が悪く、録音技術も劣る、超アナログ録音の方が生々しく、迫力あるのは何故なのか?
(ニュー)ゴールデン・カップス、
1979-1994 年ジョニー、ルイス&チャー→PINK CLOUD
またトリオのバンド。チャーが歌謡界を通過してからの結成だったから注目度が以前とは違った。とにかく「絵になる」3人。3人がプレイしている姿だけで見惚れてしまう。
日比谷野外音楽堂でのフリー・コンサート『Free Spirit』からひたすらにカッコよかった。
その後も、ほぼ途切れることなく活動が続く。
一つ一つはけっこう2-3年くらいが多いのにその「途切れなさ」が驚異的。
リゾート(Gr:山口冨士夫)
ティア・ドロップス(Gr:山口冨士夫)加入
1996年 ウオッカ・コリンズ(ムッシュかまやつさんと一緒に)
ぞくぞくかぞく
大口ヒロシバンド
(あの役者の)佐野史郎のレコーディングメンバー
布谷文夫 & DEW
柳ジョージ
ピタゴラス・パーティー (石間秀樹<Gr>、篠原信彦)
ゴールデン・カップス再結成
2004年 そくせきかぞく
グループ&アイ
Marbles
2008年 GROUP AND I (Grとして)
シルバー・カップス
5億円・・・なんというバンド名!

THE GOLDEN CUPS Complete Best“BLUES OF LIFE”
ザ・ゴールデン・カップス
現在は「ハーフ」が羨望の対象として見られ、各界で「ハーフ」であるということがアドヴァンテージになることが多いが、加部さんが育った頃は明確な「被差別」対象だった。
「ハーフ」じゃなくて「混血」というべ蔑称がまかり通った時代だ。
50年以上ミュージシャンとしてずっとプレイが続けられてきたのは、常に誰かに声をかけられる存在だからなんだなぁ、と呼んで分かる。
ベーシスト、ギタリストとしての技量、個性が基本にあるにしても、
自分より若いミュージシャン、新しいバンドへのフェアな視線を持つこの人だからこそのオープンな人間性ゆえなんだろうなぁ。
ベーシスト、ギタリスト、作曲家
1948/11/5- 現在70歳
https://www.youtube.com/watch?v=Wd8HXzuqvB4&list=PLLLZ5MPXvW9WIGqCoqA7sGtnm_Iz0wF5P&index=5&t=16s
★こんなに有難い至言に遭遇させて頂きながらも、敬称略で書かせて頂くことをご本人、関係者にお詫び致します。
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『けだし名言』
ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。
ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。
その『傑物』の『至言』が放たれた奥底に迫りたい。