われわれ、例えば高速道路をつけようとしている、あるいは空港を設けようという、それは政治や経済のスローガンですよ。ところが、政治というか皆さん方は、高速道路をつけることが自己目的、目的化してしまう。あるいは空港をつけることが、目的である、本当は、そんなことは目的でも何でもないんです。高速道路をつけて、人間は、例えば経済的に豊かになりたい豊かになるんだけど、豊かになって、それで何をするのかというと、本当は、本当のことっていうと、魂が、生きて良かった、われわれ人生に生を享(う)けて良かった、この陽の光を浴びて良かった、自分達の子供が良く生きてくれる、そのことを、本当はやりたいわけなんです。それが目的なんです。魂の昂(たか)ぶり、魂がこう、本当にこう浄(きよ)らかになって、そうすることが本当の目的なんです。決して高速道路をつけるというのは、その高速道路によって、そういうものに至ることができるんじゃないかという、ところが、いまの政治や経済の人々は高速道迂路がくることによって、お金持ちになる、金儲(もう)けできるんじゃないか、せいぜいその位で止まってしまうんです。
(1987年『熊野で「魂」を語る』熊野大学にて)
暑い。昼はクーラーの風から逃げるので集中力が減じる。
毎日、いろいろと読む。幾多の至言にも当たる。しかし、それを
「傑物の至言」
にまとめる集中力が欠如する。暑さのせいにする。
こんなプライヴェート文の「傑物の至言」といえ、自分としては真っ当に取り組むので集中力と時間を要する。
名言だけを羅列している他のサイトが羨ましく思える。そんなの今さら私がやらなくても多数あるから、「傑物ちの至言」を始めたのであって、愚痴である。暑いから愚痴る。
暑いことは圧だ。歓迎されない。
夏の甲子園も始まったことだし取り上げていないスポーツ選手の至言かなぁ、いっそ雪山登山家の至言で涼しくなるって手もあるのか?など頭の中をうろちょろした。
やっぱりそういうことじゃイカンだろう。
暑いなら、最も熱い傑物だろう、と。
いつ書くべきかと出番を伺っていた中上健次。
熊野の「路地」出身の中上健次。
中上健次が「路地」と呼んだ場所の意味を分からない人は自分で調べること。
中上健次は「血」を書いた。
それは重く、固く、手強いもので軽々に物語を知ろうとすると身動きが取れなくなるか、本を閉じるしかないだろう。
お前に覚悟はあるのか?
俺の書く言葉、物語、熊野の新宮の物語を受止める覚悟がないものは読むな、ぶん殴る。
そんな印象の作家だった。
周辺にいた人にはとても優しい印象を持つ人も多かった。
都はるみとの親交が有名。
1974年 『十九歳の地図』映画化(柳町光夫監督)
1976年 『岬』芥川賞受賞
1977年 『枯木灘』毎日出版文化賞、芸術選新人賞
1982年 『千年の愉楽』
1984年 『日輪の翼』
1987年 『火まつり』映画化(柳町光夫監督)
1989年 『奇蹟』平林たい子賞を辞退
1992年 『軽蔑』映画化(廣木隆一監督)
何かといえば「~ハラスメント」と騒ぎたてる状況は、ハラスメントの横取りで本当に困っている弱者なら邪魔にしか思わないだろう。
編集者や作家仲間を怒鳴り、叱り、ぶん殴った中上健次。
今なら、編集者は退社し出版社と中上健次を訴えるのだろうか?
中上健次はどう受けただろうか?
暴力を肯定しているではなく、日常の暴力をひときわ騒ぎたてながら、大きな暴力には気づかない振りをするヤツが嫌いなんだ。
いま、この時代を生きていたら何を言っただろう?何を仕掛けただろう?
多くの人からそう思われている存在。
もちろん、日本文学史上の傑作を書いた中上健次の至言は少なくない。
しかしそれよりも何よりも、中上健次の精魂そのものの小説を一生に一度は読むべきだろう。
中上健次の魂のある部分は、熊野大学で継承されている。
1946/8/2-1992/8/12 (享年46歳)
作家
<記*波尾哲>