長い歴史を見ていると、文学はどうも必要なもののようですよ。社会が行き詰まったときを境に、また文学への欲求が出てくると思う。文学の生命は、東西の歴史を見る限りかなり強い。その点で僕は楽観的です。
(中村真理子)=朝日新聞2019年2月6日掲載/最新作の連作短篇『この道』後のインタビュー
静かな言葉である。拳を振り上げ、大声で叫ぶのでなく、事実を告げるかのように。
古井由吉が日本にいたから、私は現在の小説を読み続けてきた。
勿論、日本には他にも素晴らしい仕事をしてきた作家はいるし、ほかにも数人、新作が出るたび必ず買って読む小説家はいるが、私にとっては古井由吉の小説に浸る時間が、他の作家の書くものを読む時間とは完全に異なる。
一語一語が究極のところから絞り出されてくる。その語が織り成す文章が残像を保持しているうちに次の文章が訪れる。普通の日常が描かれているのにどこか違う時空から観ているかのような作品。
1971年『杳子』芥川賞
1977年 作家仲間と季刊誌『文体』の責任編集者に。12号まで続いた。
1980年『栖』日本文学大賞
1983年『槿』谷崎潤一郎賞
1987年「中山坂」川端康成文学賞
1990年『仮往生伝試文』読売文学賞
1997年『白髪の唄』毎日芸術賞
書いていて、くらくらしてくる受賞歴だ。どんな賞でも様々な背景があって選定されるわけで、「受賞作=傑作」という公式は成立しないのがどんな業界でもあたり前だが、古井由吉の諸作は寧ろ受賞しなかった作品に傑作に値しないものがあったか、と言いたくなるほどの凄み。
病気をされてから「老い」「死」を正面から主題にすることが多い。
8作の連作短篇『この道』
以前の一語一語が鋭く切っ先を向けていた文が絡み合う様から、想念の流れるままに任せているかのような書き方をしている。
しかも過ぎたことを断じることなく「~だったろうか」と自問を度々に置いていく。
一編目『たなごころ』は、かつてある場所で石を拾ってこようかと思いながら拾ってこなかったということだけの話の中身に千年以上の時と、場所も日本、中国、インドを行き来する。
30ページに満たない字数の短編一編が映画何本か分、交響曲何曲か分の濃密さを有する。それが死を扱ったものだからという単純な理由だからではないことはこれまでの作者の仕事から明白だ。
想念から産み出でた語彙と古典の引用からの発展がかくも豊潤で分厚い時間を創り上げ得るものか。
創り上げているのか、いや、こちらが日常の時空とハナから思っているものが裂かれていくようだ。
30ページ未満の一編を2日かけてゆっくり読む。
そしてもう一度、改めて初めから読み直す。我々が日頃使い慣れぬ、或いは初めての語彙の箇所で立ち止まる。
日本語や産み出された概念の奥深さ、強靭さにたじろぎつつ、ほとんど棄てられ忘却の向こうへと置かれ放しにしてきた時間の集積へと心が引っ張られる。
『たなごころ』だけでも
空足(からあし)
墻 かき
十羅刹 じゅうらせつ
供奉 ぐぶ
烏滸 おこ
産土神(うぶすながみ)
風狂
終日(ひねもす)
脚絆
杣道(そまみち)
辛夷(こぶし)
野辺送り
山の隈 くま
といった言葉で少し止まる。改めて辞書を引いて意味を確かめたり、その語が選択された向こうになにか視えてくる気配を嗅ごうとしたり。
1937/11/19- 現在81歳
小説家、翻訳家
★こんなに有難い至言に遭遇させて頂きながらも、敬称略で書かせて頂くことをご本人、関係者にお詫び致します。
『けだし名言』
ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。
ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。
その『傑物』の『至言』が放たれ、凡人にも何かが触発される。
泡立ち、鳥肌が立つ瞬間。そこから目を逸らすのを止めよう。
(記*波尾哲)