自分が好きな人物を演じるのは難しいということが、改めてわかりました。役づくりというのは、その人物の欠点とまではいわないけれど“ 歪み”を見つけることなんです。よくいえば個性とか人柄なんですが、その人物の歪んでいる部分を探り出す。人生のうまくいかない、世間とうまく折り合いのつかない部分を探し、そこから役に入ってゆく。ところが、大好きな人物だとそれがなかなか見つからない。今回は苦労しました
“超俗の人”といわれたモリカズさんは穏やかで、でき上がった人物のように思われています。しかし、“超俗”だったらもう主張するものはないはずで、そういう人に創作ができるわけない。僕はそう、考えました。
モリカズさんは、我々以上に世間とうまく折り合いがつかなかった人なんじゃないか。
そして、モリカズさんは内に非常に激しいものをもっていたのではないか。だから、世間とうまく折り合いがつけられなくて、あるときから“我が道を行く”覚悟を決め、世間との付き合いを止めてしまった人なのだと思います。
2018年『モリのいる場所』公開に際してのインタビューより
子供の頃から大人の男が好きだった。
佐分利信、露口茂、鶴田浩二、三國連太郎。
自分はゲイなのかとまでは思わなくともその感情はずっと保たれ現在に至る。
菅原文太、(バラエティ番組出演時ではない、役者としての)梅宮辰夫、室田日出男
と書けばヤクザ映画ファンめくが、その手の映画はほんの少ししか見ていない。
ヤクザ映画で主役を張れる役者がホームドラマなどでの自らを内側に押し込んでいるかのような凝縮された様子が堪らない。
ここ何十年も敬愛する筆頭が、山崎努。
1992年、火事を起こした隣家へ山崎さん自ら水を被り隣家の老夫婦を抱き抱えて救助した時、駆けヒーローあつかいしようとするワイドショーのレポーターどもに「人間としてあたり前のことをしただけなのに騒ぐな」と言い相手にしなかった格好良さは今でも忘れられない。
自分が有名人だからこんなにカメラが来て、近隣に迷惑だろう、と言わんばかりだった。
自分は何もない人間だ、と言い切る。
どのインタビューを読んでも、華美なこと、大袈裟なことを言わない。
それは高い水準の人だからこそ口に出る言葉だ。
謙遜というよりも、「大人(たいじん)」だからこそ、より多くの大きなことを身を以て知っているからなのだろう、と思う。
器の小さな人間ほど、威勢のいいことを言う。真反対の人だ。
鋭い眼光、意志の強固さを窺わせる頬骨から顎への骨格。しかし飽くまでも自己の内側へ深く感情をあたためている様な気がする。
他者を赦し包み込む大きさを感じさせる。
それは冒頭に挙げた熊谷守一のことを言いながら、自身がどれほどのことを自らの内側に飼い慣らしてきたか、その濃厚な歴史が顔、表情、言葉、身体に表出してきてしまうのだろう。抑え込もうとて滲み出てしまうものなのだろう。
大人の色気。
週刊文春にリレーで掲載された「読書日記」も名文を書く人と名高い。非常に簡潔で芯を外さない、人柄そのものの文章。
何冊も書籍化されていて、冒頭の言及の熊谷守一氏についての書物にも触れられている。
歳をとるほど頑迷固陋になり、融通が効かなくなる人をよく見かけるが、人間こうありたいと心の底から思える傑物。
1936/12/2- 現在82歳
役者、文筆家
★こんなに有難い至言に遭遇させて頂きながらも、敬称略で書かせて頂くことをご本人、関係者にお詫び致します。
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『けだし名言』
ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。
ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。
その『傑物』の『至言』が放たれ、凡人にも何かが触発される。
泡立ち、鳥肌が立つ瞬間。そこから目を逸らすのを止めよう。
(記*波尾哲)