全勝を目指しちゃいけないんだ。
人生そんなに上手くゆくわけはないし、
全勝を目指す人は、
弱いところがあってね、
1敗しただけなのに
折れちゃうことがあるんだ。
人生、適当に負けることが大事さ。
アマチュアはね、次の目を丁か、半か、あれこれ思案して当てようとするんだね。10回張ると、とにかく6回は当てて、勝ち越そうとする。プロは、極端にいうと、1勝9敗でも、1勝すればプラスになっているように張る。
(色川武大)
純文学小説を書くときは色川武大(本名)
時代小説を井上志摩夫、ギャンブル小説を阿佐田哲也の名前で書き分けた。
1961年『黒い布』(色川武大)中央公論新人賞
1969年『麻雀放浪記』(阿佐田哲也)
1974年『雀鬼くずれ』(阿佐田哲也)
1977年『怪しい来客簿』』(色川武大)泉鏡花文学賞
1978年『離婚』』(色川武大)直木賞
1982年『百』』(色川武大)(川端康成文学賞)
1984年『ドサ健ばくち地獄』(阿佐田哲也)
1989年『狂人日記』』(色川武大)(読売文学賞受賞)
ほか多数
もう何回読んだかわからない。
阿佐田哲也(もう朝だ、さあ徹夜しよう、と語呂合わせからの命名らしい)名義で麻雀、競輪、競馬、サイコロ、花札その他ありとあらゆるギャンブル(より「博打」が相応しい)小説を書いた。
いや、博打をしてしまう人間、しなければ生きていけない人間を書いた。
麻雀を知っていようがいまいが関係ない。
ミュージシャンの自伝を読むとその人の曲が聴きたくなり、作家の自伝、解説本を読めばその人の作品を読みたくなるけれども、幸か不幸か麻雀やギャンブルをしたくなる、とはならない(私の場合は)。
それなのに、心臓の鼓動が勢いづき、こんな魅力溢るる文章の集積には滅多に出会えない、という気持ちから何だかワクワクしてくる。
ほとんど普通の人なら人生で出会わないような人間がこれでもかとばかりに登場してくる。これはアニメやゲームの中の「キャラクター」ではなく、実在していた人達だ。阿佐田哲也の目を通して抽象化されているにせよ、頭で考えた「キャラクター」などではない。
阿佐田哲也の小説を読むたび「けもの道」を歩いてきた人の息遣いを感じさせられる。
和田誠が監督した映画『麻雀放浪記』を観れば一発で分かるように、戦後間もない「戦後のどさくさ」という言い方があるように、ひとりひとりが食うか食われるか、皆が「けもの道」を歩かなくてはならなかった時代だったのだろう。
官が用意したルールや舗装された道を大人く歩いていると痩せ細ってしまう危機感があったということかもしれない。
この人に天才的文才があったからこそ、「闇の中、けもの道」でひっそりとしかし逞しく、自分だけはどんなことをしてでも生き延びようと昨日の友さえ食い物にして生き続けた登場人物のモデルになった人達にとって、書かれることなんか「一銭にもならん、余計なこと」だったろう。
藝術はそんな「闇やけもの道」に焦点を充ててしまう因果な仕事だ。
それにしても元博徒だからって誰でも同じ小説が書けるわけじゃない。
色川武大名義で書いた小説は、そんな因果さに背を向けることなく、真正面に相対する凄みが横溢している。難しい言葉を使わずに、複雑で難しい人間の内面を突き放してみせる。そうした一方でどんどん奥まで入り込んで複雑さの真ん中でじっとしているかのような凄み。
本物だからこそ、残酷だ。とにかく誤魔化しがない。誤魔化すほど人生なんて大したものじゃない、と判っていたかのように。
元編集者だからって誰でも同じ小説が書けるわけじゃない。
夫人だった色川孝子さんの著作を読むと、一緒に暮らすのは相当に大変な人だったようだ。まさに傑物。

宿六・色川武大作者: 色川孝子
ナルコレプシーという難病(所構わず強烈な睡魔が襲う病気。麻雀中も寝ていたという文に時々出会う)にずっと悩まされていた。
ジャズ・レコードの収集家としても有名。一関市の有名ジャズ喫茶「ベイシー」に毎日通えるからと同市に家を建て、所有しているレコードを送り引っ越した10日後に亡くなった。
現在、そのレコード盤はタモリさんが管理しているらしい。
色川武大/阿佐田哲也
1929/3/28-1989/4/10(享年60歳)
元博徒、元編集者、小説家、雀士
(記*波尾哲)