私は基本的に、考えたいから考えているだけですが(笑)。二次的な意味としたら、哲学は社会に対する一種の解毒作用があるのでしょう。例えば、みんなが思い込んでいて、それについて考えようとしないことに対して「本当にそうなの?」と水を向けるような作用はあります。 (池田晶子 COMZINE BACKNUBER2004/4「かしこい生き方のススメ」より)
Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015
哲学者池田晶子は「考えること」そのことが哲学と言い続けた。
たいていの人はすぐ答えを求めたがる。
「じゃあどうればいいの」
哲学ならさぞ高尚な解答が得られるのでは、と時々ブーム?が起きたりする。
しかし池田晶子は「考えろ」と言った。
考え続けること。それ自体が哲学であり、人間が生きるということだ、
たとえ解答が伝えられたとしても、それは他人のものだ、ということだろう。
一人一人が違う人間が同居するこの星でのありとあらゆる問題の多くは、「社会」と命名される集合体の中で呼吸をし続けることから産まれてくる。
だからこそ「解毒作用」と言うのだろう。
両親に学問の道を進むことを反対され、自立の為にモデルをして稼いだという逸話を持つその美貌に不埒な心で近づくと火傷をする。
彼女はほとんど間近で見たことがないくらい本気の哲学者だった。
『朝生』で初めて見た彼女は衝撃だった。
今で言う薄っぺらなソリューションばかりを口にする無責任で安全圏から出ないパネリストの中、
ただ一人根本的な問い、言葉を発していた。
「どうしてですか?」
「どうしていけないのですか?」
「常識」という不安定で、危ういみんなの決め事をとことん疑ってみる。
とても勇猛果敢な、アグレッシブな哲学者だった。
昨日のあんなことを、今日のこんなことを池田晶子ならなんと言うだろうか、と
思わされる。
一日も長く生きて言葉を聞きたかった人。
「自分の頭で考えなさい」
そう言われるだろうにしても。
池田晶子の意思と業績を記念し、新しい言葉の担い手に向けて
が創設され運営されている。
慶應大学文学部哲学科卒業。
哲学者
1960/8/21-2007/2/23 (享年46歳)